かながわS級マイスター列伝<4> 中区・野毛 雑多な雰囲気 大道芸根付

【神奈川】
かながわS級マイスター列伝<4> 中区・野毛 雑多な雰囲気 大道芸根付く
東京新聞2013年1月5日



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野毛大道芸の創始者、IKUO三橋さん=中区で


 「最近、体が思うように動かないんだけどねぇ」。横浜市中区の野毛地区で毎年春秋に開かれる野毛大道芸の創始者、大道芸人のIKUO(イクオ)三橋さん(67)は、そう言いながら右手に取った帽子をくるりと回転させてかぶって見せた。手つきに、野毛大道芸を生み出した技術を感じさせる。

 野毛大道芸の運営には、一九八六年の第一回から九〇年の十回目まで携わった。その後は関わっていないが、「手づくりの催しで、出演者の報酬は客からの投げ銭のみ」という原則は今でも変わっていない。大道芸は「野毛の代名詞」となり、規模も大きくなったが「そこに住む人で運営するのが、地域づくりの基本」と話す。

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 もともと横浜の出身だが、野毛には縁がなかった。パントマイマーとして十年間、フランスで活動した後、八二年ごろに友人の誘いで野毛に移り住んだ。

 「まるで空白の街だった。当時の野毛は寂れきっていたよ」

 地域を盛り上げようと考えを巡らせると、フランスにいたころの日常風景がよみがえった。路上で演技を見せて投げ銭をもらう大道芸が、当たり前のように行われていた。一時帰国した七五年、横浜市中区伊勢佐木町の路上で試しにパントマイムをやってみると、思いのほか反響が良かった。

 この体験を思い出し、全財産をはたいて手回しオルガンを買った。妻にオルガンを弾いてもらい、曲に合わせて家の前でパフォーマンスしてみた。すると、通行人がくぎ付けになった。「これはいける」。戦後、闇市で盛り上がった野毛に、再び息吹を与えるのが大道芸だと確信した。

 地域の人たちと協力し、懇意にしている演者を呼んで、八四年に野毛大道芸の前身となる「大道芸フェスティバル」を開き、自身も出演した。「いわゆる大道芸にはなっていなかったが、大変なにぎわいだったよ」

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 大道芸に出合うまで、さまざまな「人を引きつける術」を習得した。高校から演劇の世界に入り、伸び悩んでいた大学一年のとき、「パントマイムの神様」と呼ばれたフランスのマルセル・マルソーのパフォーマンスを見た。「これしかないと思った」。沈黙の中で繰り広げられる躍動感に、心を奪われた。

 パントマイムのプロになり、東京の浅草松竹演芸場の舞台にも立った。当時、パントマイムを知る人は少なく、観客から「なぜしゃべらないんだ」と、やじが飛んだ。観客が二人のときもあり、国内では限界を感じて渡仏。この間、手品も覚えた。

 「路上で人を楽しませるには派手なことをやらないとダメ」。培われた経験のもと、九〇年の野毛大道芸で覚えたての火吹きを披露。観客は沸いたが、体に引火して顔と右半身をやけどした。これを機に「路上の舞台」から引退した。

 若手に運営を引き継ぎ、「もうけようとするのではなく、文化を楽しむことが大事なんだ」と説く。

 プロもアマチュアも一緒の舞台で演技する雑多な雰囲気。「それが野毛の魅力なんだ」  (志村彰太)

 野毛大道芸に子どものころから出演し、世界的なパフォーマーになった兄弟がいる。横浜市港北区の桔梗篤さん(24)、崇さん(22)だ。大道芸の一種のジャグリングの世界大会で優勝するなど、まさに「野毛がはぐくんだ大道芸人」といえる。

 二人がジャグリングを始めたのは、小学校高学年のとき。見学した高校の文化祭で、生徒が披露していたのを見て、「かっこいい」と思った。道具を買い、野毛地区のすぐ近くにある本町小学校(横浜市中区)で、週に一回活動しているサークル「横浜大道芸倶楽部(クラブ)」に入った。

 二〇〇一年に巡ってきた初舞台は、小さいころからよく見に行っていた野毛大道芸だった。「あこがれの舞台で緊張した」。ずっと独学で練習していたがめきめき上達し、「桔梗ブラザーズ」の芸名でプロの道に進んだ。

 〇三年、全国のジャグラーが集まる大会のチーム部門で優勝、二年後には世界大会でも二位に輝いた。〇九年にはシルク・ドゥ・ソレイユのオーディションにも合格するなど、世界的に知られるようになった。

 現在は、国内外のメディアやイベントに引っ張りだこ。それでも野毛大道芸には毎年、出演する。篤さんは「自分たちを育ててくれた場所だから、恩返しをしたい」と話す。目標は「ジャグリングを日本にもっと広めること」と口をそろえた。

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