「銀座 歴史散歩地図 」赤岩州五編著 原田弘・井口悦男監修(草思社 2600円+税)

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「銀座 歴史散歩地図 ─明治・大正・昭和」赤岩州五編著 原田弘・井口悦男監修(草思社 2600円+税)
日刊ゲンダイ2015年9月4日

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/163359


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「銀座 歴史散歩地図 明治・大正・昭和」 赤岩州五著、原田弘、井口悦男監修(草思社 2,808円税込)


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【内容情報】(出版社より)
古地図や住宅地図、火保(火災保険地図)、商店街地図など三十点余りの貴重な地図を使って、明治・大正・昭和から現在までの銀座をたどった地図と読み物の本。居住者名、店舗名がくっきりわかる明治三十五年地図や昭和二十七年地図など。銀座の食い物屋や老舗、バー、キャバレーなどまで、荷風、小津など文人たちの通った店はどこにあったか。
● 掘割に囲まれた煉瓦街、築地の外人居留地
●「 萬朝報」「時事新報」など、新聞社が集まる明治の銀座
● 今和次郎が詳細に記録した震災後の銀座
● 荷風が遊んだカフェーの街
● 監督小津が山中貞雄をもてなした銀座
● 進駐軍に接収、占拠された中心部
● 闇市の帝王の「マンダリンクラブ」
●「 おそめ」「エスポアール」夜の銀座
● みゆき族と高度成長時代…など

 映画『仁義なき戦い』の脚本家笠原和夫の自伝『「妖しの民」と生まれきて』(ちくま文庫)に氏が昭和20年代に雇われ支配人だった「ホテル・グリーンハウス」の思い出の記述が出てくる。記述に従って当時の地図を調べてみると、銀座第一ホテル近くに確かに「ホテル・グリーンハウス」がある(本書p112~113)。

 映画監督・川島雄三が愛した八重司さんの実家「割烹・菊川」は銀座西六丁目の裏にあり、川島が『銀座二十四帖』を書くために泊まり込んでいた旅館「数寄屋」のすぐ隣にあることが当時の広告地図でわかる(P116~117)。これは『川島雄三 サヨナラだけが人生だ』(ノーベル書房)の記述から類推した。

 本田靖春が書き、『闇市の帝王』(草思社文庫)で詳細に述べられた国際賭博場、王長徳のクラブ・マンデリンは、福富太郎の本(『銀座キャバレー秘史』文春文庫)を参考にして、キャバレー・クラウンが立つ前の土地ということから、六丁目電通通り沿いにあったということが判明した(p96~97)。

 これらは日本戦後史、現代史にとっては本来どうでもいいことで、歴史の彼方に忘れられてもいいようなことかもしれない。しかし、これを知ると現代史や戦後史がもっと立体的に面白く見えてくるのではないか。

 日本近代文化の華であり、庶民のあこがれの対象だった「資生堂パーラー」や「カフェ・プランタン」の銀座通りの華の部分と夜の相貌を取り混ぜて、地図で再現してみた本書をひもときながら、現代版銀ブラを楽しんでみるのも終戦70年を迎える今年の夏、感慨深いのではないか。

(担当/木谷)


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草思社
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明治・大正・昭和 赤岩州五 原田弘 草思社発行年月:2015年07月24日 ページ数:131p サイ


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発売日: 2015年07月24日頃
著者/編集: 赤岩州五著、原田弘、井口悦男監修
出版社: 草思社
サイズ: 単行本
ページ数: 131p
ISBNコード: 9784794221445

【内容情報】
古地図や住宅地図、火保地図、商店街地図など30点余りの貴重な地図を使って、明治・大正・昭和から現在までの銀座をたどった地図と読み物の本。居住者名、店舗名がくっきりわかる「明治35年地図」や「昭和27年地図」など。銀座の食い物屋や老舗、喫茶店、バー、キャバレーまで、荷風、小津など文人たちの回想する店はどこにあったのか。

【目次】
1 煉瓦街と江戸の面影ー幕末から明治後期
銀座は水の町だったー嘉永三年(一八五〇)
「大区小区」時代の銀座・築地ー明治七年(一八七四) ほか
2 関東大震災前の銀座ー大正期
江戸の残り香があった震災前の銀座通り
周辺にまで響き渡った大時計の鐘の音 ほか
3 震災・復興、そして空襲ー大正十二年(一九二三)~昭和二十年(一九四五)
大震災後の銀座ー新しい道を選んだ日比谷の四つ角
銀座一丁目、三丁目に、タクシー駐車場 ほか
4 闇市・高度成長・オリンピックー昭和二十年(一九四五)~
焦土となった銀座を歩くー焼跡と青空の『銀座復興絵巻』
デパートや焼け残ったビルを米軍が接収 ほか

【著者情報】
赤岩州五(アカイワシュウゴ)
昭和23年(1948年)、長崎県生まれ、金沢市で育つ。同志社大学卒。雑誌「トランヴェール」、地図雑誌「ラパン」の編集長を務める

原田弘(ハラダヒロシ)
昭和2年(1927年)、東京杉並に生まれる。日大三商卒。昭和20年警視庁警察官に採用され、昭和60年まで勤務。『築地警察署史』の編纂など、地誌、警察史に精通

井口悦男(イグチエツオ)
昭和6年(1931年)、東京生まれ。慶應義塾大学大学院卒。慶應大学中等部教諭、帝京大学教授などを歴任。元古地図学会会長、東京市電研究の第一人者

 常に新陳代謝を繰り返し、人々を引きつけてきた日本を代表する街「銀座」。その変遷を古地図や住宅地図、商店街地図など、さまざまな地図でたどりながら紙上散歩するグラフィックブック。

 もともと低湿地帯だった銀座周辺は、江戸時代に御茶ノ水や神田山の台地を削った土で埋め立てられた土地で、当時は縦横に水が流れていた。嘉永3(1850)年の地図を見ると、加賀町や尾張町などの地名が見えるが、それは埋め立て工事を担った人たちの国名だという。他にも南紺屋町や弓町などの地名も見え、銀座が職人の町として出発したことがうかがえる。明治5(1872)年、銀座一帯は大火に見舞われ、政府は焼け跡を煉瓦街として再生する。しかし、煉瓦街は当時の人々に不評で、ようやく明治15年ごろから繁華街としての地位を確立したという。

 物理学者でもあり文学者でもある寺田寅彦や、銀座生まれの洋画家・岸田劉生らが銀座について記した文章を読み込みながら、明治35年の「東京市京橋区銀座附近戸別一覧図」という詳細な地図で、当時の銀座にタイムスリップ。

 寺田は明治28年、16歳のときに尾張町(銀座5丁目)の「竹葉」(現在も4丁目交差点近くで健在のうなぎ屋)の隣家に滞在した折の思い出をつづっている。文中に登場する寄席を、前後の記述から「一覧図」に記載された「金沢亭」だと特定。

 さらに、落語家の6代目円生がかつて金沢亭の隣には銭湯があったと書き残しており、地図を確かめると確かに「白湯」とある。寺田のエッセーに書かれた寄席の客が寿司の出前をとったと思われる寿司店なども地図の中から探していく。

 読み、眺めるうちに、文章と地図との相乗効果で、当時の銀座の街が立体的に浮かび上がってくるようだ。

 大正12年、関東大震災とその後の火事によって銀座は再び、火に包まれ崩れ落ちてしまう。その1年前に発行された「銀座通り案内」には、震災前の貴重な街並みが記録されている。

 震災から7年後の昭和5年「復興大銀座地図」は、銀座大通りにデパートが次々と出現するなど、生まれ変わった銀座の様子を伝える。震災でさまざまなものが一変。それまで畳敷きで下駄を脱いで上がっていた日本橋三越は、震災後には土足で入れるようになり、お子さまランチの登場もこの年だという。

 そうした風俗の変遷なども紹介しながら、さらに戦争を乗り越え、現在へと続く銀座の移り変わりを詳細にたどる。

 実際の街歩きの案内書として、さらに小説や映画のサブテキストとしても活用できるお勧め本。

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