【カレー夏物語】   (1)神保町キッチン南海(千代田区)   東京新聞2015年8月10日

【東京】
カレー夏物語 (1)神保町キッチン南海(千代田区)
東京新聞2015年8月10日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20150810/CK2015081002000168.html


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神保町キッチン南海の中條知章料理長とカツカレー=千代田区で

 こんもり山と盛られたご飯に覆いかぶさる巨大な豚カツ。そこに濃厚なのに甘みのある真っ黒なルーをかけると、千代田区神田神保町の老舗洋食店「神保町キッチン南海」のカツカレーができあがる。

 「黒いルーは小麦粉をよく炒め、百時間煮込み、豚コマ肉が溶けています。ルーがよく染みるようにカツのパン粉は粗め」。二代目料理長の中條知章さん(47)が説明する。

 千代田区商工業連合会のメンバーらでつくる神田カレー街活性化委員会によると、神田神保町かいわいはカレーを出す店が約百三十店もひしめく激戦地。中でも、一九六〇年に同区飯田橋で創業し、六三年に移転してきた「神保町キッチン南海」はひときわ名高く、行列が絶えない。

 「学生時代に通ったという初老の紳士が来てくれることもある。味は絶対に変えません」と言う中條さんは、創業者の南山茂さん(85)のおい。十五年ほど前に店を引き継いだ。

 独特の黒いルーは、南山さんが母親のカレーをまねて作ったのが始まり。今も毎日、店に顔を出す南山さんは「母のカレーの粉臭さが嫌いで、小麦粉とカレー粉をうんと炒めて臭さをなくそうとしたら黒くなっちゃった」と振り返る。

 神田神保町かいわいは明治以降、現在の明治大学や日本大学などの前身の学校が相次いで創立。それに伴い、古書店街が生まれた。ここにカレーの店が集まるのは、大学生が本を読みながら片手で食べられるから、とも言われる。

 ただ、店を飯田橋から移転させた南山さんの狙いはマージャン荘で遊ぶ大学生だった。「マージャンを打ちながら食べられるカレーは売れる」。読みは当たり、神田神保町で五店舗まで増やしたが、入居先の建て替えなどで、現在は「神保町キッチン南海」だけが残る。

 店名の由来は、南山さんが大ファンだったプロ野球チーム「南海ホークス」(現在の福岡ソフトバンクホークス)。南海のチームカラーである濃い緑色は、店で修業した料理人が独立して掲げる「キッチン南海」の看板の色に引き継がれている。

 南山さんは、名選手を輩出して、南海の黄金時代を築いた名監督、故鶴岡一人氏を尊敬している。「最低十年修業させ、お金をためて独立させた。鶴岡監督にならい、若い人を育ててきた」。独立時の約束は「大衆的な値段」だけ。都内などに一時約二十店あった各地のキッチン南海は、ルーが黒くない店もあり、それぞれ独自の発展を遂げている。 (石原真樹)

     ◇

 ラーメンと並んで日本の国民食とも言えるカレー。さまざまな食材と相性が良く、カレーうどんやカレーパンなど変化に富む。夏の都内で、ホットな味を楽しめる場所を巡り、そこにまつわる物語を聞いた。

◆メモ
 カツカレーは750円。チキンカツやしょうが焼きのメニューもある。住所は千代田区神田神保町1の5。

(問)神保町キッチン南海=電03(3292)0036

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