東海道 「大坂」まで五十七次 広めたい 

【社会】
東海道 「大坂」まで五十七次 広めたい 
東京新聞2015年7月8日 14時02分

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015070890140138.html


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「東海道宿村大概帳」の巻12には伏見宿、淀宿の記録が残っている=郵政博物館所蔵(志田威さん撮影)

 「東海道は京都までの五十三次ではなく、大坂(現大阪)までの五十七次」と呼び掛ける元鉄道マンがいる。静岡市の東海道町民生活歴史館館主の志田威さん(72)=東京都杉並区。根拠となる歴史資料を集めた著書も発刊した。今年は東海道を定めた徳川家康の死去から四百年。「大坂までの宿場の認識を広め、後世に伝えたい」と語る。 (杉戸祐子)

「東海道57次」 志田威著(ウェッジ 1,728円税込)


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志田威 ウェッジ発行年月:2015年04月 ページ数:169p サイズ:単行本 ISBN:97848


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発売日: 2015年04月
著者/編集: 志田威
出版社: ウェッジ
サイズ: 単行本
ページ数: 169p
ISBNコード: 9784863101449

【内容情報】
ゴールは大坂、57次だった!読めば東海道の常識が変わる。おすすめ12コースガイドマップ+東海道57次の里程・宿駅概要+五街道宿場一覧の折込地図つき。

【目次】
第1章 東海道は57次だったー幕府管理の「57次」と広重の描いた「53次」
3代で築いた「大坂までの57次」
宿駅伝馬制に組み込まれた街の様子 ほか
第2章 徳川家康と東海道
家康に縁深き、東海道3地区
家康の気遣い
第3章 東海道の旅と生活ー「重き通行」と「軽き人」の生活・文化
重き通行・重き決断
朝鮮通信使に準備した薩〓(た)新道と舟橋 ほか
第4章 江戸期の旅事情
様々な江戸期の旅
難所越え ほか
第5章 コースガイド「見どころ案内」
日本橋→品川宿/川崎宿→神奈川宿 ほか

【著者情報】
志田威(シダタケシ)
「東海道町民生活歴史館」「東海道57次・中山道67次交流館」館主、恵那市観光協会「恵那観光大使」。昭和18年、旧蒲原宿内で江戸時代から醸造業などを営んでいた旧家に生まれる。東京大学経済学部卒、日本国有鉄道を経て昭和62年東海旅客鉄道に入社し、経営管理室長、取締役総務部長、常務取締役、専務取締役、ジェイアール東海不動産社長を歴任した。現在は、国登録有形文化財の指定を受けた実家の志田邸を公開し、併せて前記3館の館主を務めながら、東海道の歴史・文化を普及する講演・執筆活動を続けている。


『「東海道五十七次」の魅力と見所 江戸日本橋ー大坂高麗橋  歴史街道ウォーキングでアタマもカラダも元気! 』志田威著(交通新聞社 1,620円税込)


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発売日: 2012年02月
著者/編集: 志田威
出版社: 交通新聞社
サイズ: 単行本
ページ数: 127p
ISBNコード: 9784330266121

【内容情報】
江戸日本橋ー大坂高麗橋。歴史街道ウォーキングでアタマもカラダも元気。

【目次】
第1章 天下の険を目指して
日本橋→品川宿/品川宿→川崎宿 ほか
第2章 駿河路を往く
三嶋宿→沼津宿/沼津宿→原宿 ほか
第3章 大井川を越えて
嶋田宿→金谷宿/金谷宿→日坂宿 ほか
第4章 七里の渡から京・大坂へ
桑名→四日市宿/四日市宿→石薬師宿 ほか
第5章 脇往還を往く
姫街道ー本坂通/佐屋街道ー佐屋路

【著者情報】
志田威(シダタケシ)
昭和18年生まれ。昭和42年東京大学経済学部卒、日本国有鉄道入社。同58年大阪鉄道管理局総務部長、同60年本社経理局調査役。同62年東海旅客鉄道入社、経営管理室長。平成4年取締役総務部長、同8年常務取締役、同12年専務取締役。同13年ジェイアール東海不動産社長兼任、同14年社長専任、同22年顧問、同23年退任。現在、「東海道町民生活歴史館」館主、(財)恵那市観光協会「恵那観光大使」

 志田さんによると、東海道は関ケ原の戦いの後の一六〇一年、家康が江戸と京都を結ぶ街道として制定した。一五年の大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼすと、幕府は東海道の大坂延伸に着手。京都の手前から大坂に向かう街道を再整備し、伏見、淀、牧方(ひらかた)(現枚方)、守口の四つの宿駅を置いた。東海道は京都まで五十三次、大坂まで五十七次となった。

 歌川広重の浮世絵木版画「東海道五十三次」を小学校で学習することもあり、東海道は五十三次と広く認識されているのが現状だ。志田さんは「広重が京都までの風景を描いて五十三次と題したのは自然で異論はない」と述べた上で、「東海道の大坂延伸は家康の全国統一への構想。豊臣家滅亡後、幕府は江戸-大坂間を東海道として管理し、大坂を拠点に西日本の大名を統括した」と解説する。

 志田さんは大学卒業後、当時の国鉄に入社。「初任地の大阪で地元の人から『東海道は大坂まで五十七次』と聞いたのが頭に残り、人生の宿題になっていた」。退職後、東海道の歴史・文化の研究や普及活動をしており、四月に著した「東海道57次」(ウェッジ)で、五十七次の根拠となる歴史資料を紹介している。
 それによると、一八〇六年に幕府が作った「東海道分間延絵図(ぶんけんのべえず)」に東海道全線の絵地図が収録され、牧方、守口宿や大坂市中が描かれている。幕府が全宿駅の石高などを調べた「東海道宿村大概帳(しゅくそんだいがいちょう)」には品川から守口まで五十七宿の記録が残る。

 現代では日本史教科書「詳説日本史」(山川出版社)に、街道におかれた宿駅について「東海道には品川から大津まで五十三宿、大津と大坂の間に四宿」と記載。資料や年表を集めた「新詳日本史」(浜島書店)にも「品川より守口まで五十七宿(大津まで五十三宿)」との記述がある。

 志田さんは「東海道は当初は京都までだったが大坂まで延伸し、五十七の宿駅を置いたと語り継ぐのが望ましい」と力を込める。

◆経済の拠点と大動脈結ぶ

<街道の歴史に詳しい横井三保・大阪文学振興会事務局長の話> 大坂は経済の拠点で西日本の入り口。幕府は江戸と大坂の間に大動脈を結ぶ必要があった。当時の文献にも「東海道は品川宿より守口宿」などの記録がある。東海道五十七次の知識を持って街道を歩けば、新たな発見もあるのではないだろうか。
(東京新聞)




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