【千葉】  県内2庭園が名勝に  (東京新聞2014年11月23日)

【千葉】
県内2庭園が名勝に
東京新聞2014年11月23日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20141123/CK2014112302000134.html

 文化審議会による答申で、県内では、旧徳川昭武(あきたけ)庭園(戸定邸庭園、松戸市)と旧堀田正倫(まさとも)庭園(佐倉市)の二件が名勝に指定され、洲埼(すのさき)灯台(館山市)が有形文化財(建造物)に登録されることになった。地元の自治体や関係者も歓迎している。 (飯田克志、渡辺陽太郎、北浜修)


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名勝に指定される戸定邸の庭園。奥が邸宅=松戸市で

◆戸定邸庭園 明治の意匠伝える

 戸定邸は最後の水戸藩主徳川昭武が一八八四(明治十七)年に建築した私邸で、洋風の造園方法も取り入れた明治の文化の薫りを伝える庭園として評価された。当時庭園だった隣接する旧福島県学生寮跡地も名勝のエリアに含まれ、管理する松戸市はこの「幻の庭」を復元し、戸定邸を観光地としてアピールする方針。

 戸定邸は松戸駅近くの高台にあり、敷地面積は一万平方メートル。二〇〇六年に国の重要文化財(重文)に指定された邸宅は平屋一部二階建てで、明治前期の旧大名家の屋敷の造り。

 庭園は広さ約九千五百平方メートル。母屋南側に芝生が広がり、周囲に円すい状に刈り込んだ樹木を配置。西側傾斜地の自然林も生かし、借景として江戸川、富士山の眺望を楽しめる。答申は「借景を主体とする平明な意匠・構成は明治時代の庭園の特質をよく表している」と評価している。

 庭園は、昭武が維新後、兄で最後の江戸幕府将軍となった徳川慶喜の名代としてパリ万博へ派遣された際に見た庭園を参考に、出入りの庭師に造らせたと伝えられる。現存するコウヤマキは百六十人がかりで運んだという。

 戸定邸には、昭武が書いた日記や図面など詳細な記録や、趣味のカメラで撮影した写真が多数残り、あずまやのある「幻の庭」の写真もある。市は昨年度、跡地(約二千五百平方メートル)を購入。文化庁と協議し、往時の庭園の姿をよみがえらせ、一七年度に公開する計画。

 市戸定歴史館の担当者は「復元は多くの貴重な資料が残っているからできることで、珍しい取り組み。市民の意見を聞きながら、魅力の発信に力を入れていきたい」と話す。


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旧堀田住宅との調和や和洋折衷のつくりが評価された庭園=佐倉市で

◆旧堀田正倫庭園 和洋の美が調和

 旧堀田正倫庭園は、国の重要文化財「旧堀田住宅」のそばに広がる。旧宅裏の急斜面を利用し、芝生に灯籠や石、松やイチョウなどの木々を配置した。和洋折衷のつくりで、旧宅との調和などが評価された。

 庭園は一八九〇年に、最後の佐倉藩主だった堀田正倫が屋敷と一緒に完成させた。佐倉市文化課によると、正倫は維新後、東京で天皇に和歌の指導などをしていたが、旧所領地への愛着から、佐倉に戻り晩年まで過ごしたという。庭園では園遊会などを開いた。

 現在は市が管理し「さくら庭園」の名で市民に親しまれている。春や夏に日を浴びて輝く芝や秋に色づくイチョウなど、季節ごとに姿を変える。一九九九年の旧宅改修工事後、玄関から座敷、居間に入り庭園を眺められるようになった。散策は無料だが、旧宅は入館料が必要。一般三百二十円、大学生以下百六十円。月曜休館(祝日の場合は翌日)。


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国の登録有形文化財になる洲埼灯台=館山市で

◆洲埼灯台有形文化財に地元住民も喜び

 洲埼灯台は一九一九(大正八)年に初点灯した。房総半島の南西端に位置し、対岸の神奈川県・三浦半島南東端にある剱埼灯台と対で、東京湾、浦賀水道と太平洋の境界を形成する。高さ約十五メートルで、コンクリート造り灯台の初期の遺構として知られる。

 近年は、アイドルグループAKB48の曲「会いたかった」など、音楽のプロモーションビデオなどの撮影にも使われて、若者たちにも親しまれている。

 灯台周辺では、地元住民らでつくる「洲崎マーガレット岬の会」がイベント開催や花の植栽、清掃活動などをしている。

 灯台が国の有形文化財(建造物)に登録されることについて、同会代表の本間信也さん(34)は「うれしい。住民として誇りに思う。私たちの活動も一層意義あるものとなり、責任を感じる」と話した。

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