時代を走る 東海道新幹線50年(1) 人生とともに 喜怒哀楽 運び続け

【首都圏】
時代を走る 東海道新幹線50年(1) 人生とともに 喜怒哀楽 運び続け
東京新聞2014年10月7日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/metropolitan/20141007/CK2014100702000176.html

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新幹線の前で笑顔を見せる(左から)馬場一郎さん、息子の亮さん、妻雄子さん=滋賀県米原市のJR米原駅で

 東海道新幹線は一日、開業からちょうど五十年の節目を迎えた。東京、名古屋、大阪を結び、日本経済をけん引するとともに、人と人とをつないできた。高度経済成長、環境問題、バブル崩壊…。この半世紀、新幹線は時代とともに走ってきた。その軌跡をたどる。

 夕闇の中から真っ白な塊がぐんぐん迫ってくる。一九六四年十月一日午後六時ごろ。「プォーン」。この日開業したばかりの東海道新幹線の0系が京都駅にすべりこんできた。

 見たこともない流線形のデザイン。「かっこええなぁ。これが夢の超特急かぁ」。今まで見た箱型の特急列車とはまったく違う。当時二十三歳の馬場一郎=滋賀県彦根市=は時を忘れ、ホームに立ち尽くした。

 最高速度二百十キロ。特急より百キロ速い。大阪、新大阪の違いはあるが、東京までの所要時間を二時間半短縮する。そこには「夢」があった。時代は高度経済成長期。馬場が勤めていた京都市内の工務店でも、業績は右肩上がり。「街全体が明るい雰囲気に包まれていてねぇ。その象徴が新幹線だった」。九日後には東京五輪の開幕が迫っていた。

 「乗れんでもええから一目見たい」。開業日、夕刻の終業と同時に会社からバイクを飛ばし、入場券を買った。三日後の日曜日には、後に妻となる同い年の雄子と京都駅へ。ダメもとで向かった切符売り場で驚いた。

 閑散、としていた。職場でも新幹線の話題で持ちきりだっただけに、窓口で「切符ありますよ」と聞いてまたびっくり。それならと、名古屋までの二等車を頼んだ。持ち合わせでは、片道分の八百十円の切符を買うので精いっぱいだった。

 当時の急行の二倍近い乗車料金は、庶民をためらわせ、あまりの速さに「脱線するのでは」と、在来線を選ぶ人も。こんな事情でか、五輪期間中の利用が予想より少なく、十月は目標輸送客数に届かなかった。

 二度目の乗車は三年後の六七年。こだまで新婚旅行の定番熱海へ。「こんな時ぐらい」と奮発した。馬場が特別なわけではない。新幹線が一般に深く浸透したのは実は、七〇年以降。国民の可処分所得が開業時のほぼ二倍の一カ月十万三千円余と大台に乗った年だ。懐に余裕の生まれた人々はひかりやこだまに乗り、大阪万博へ。一日の平均乗客数が初めて二十万人を超えた。

 馬場が新幹線との縁を強く感じたのは次男、亮の就職先が決まった時だ。開業から十年後の七四年生まれ。在来線の窓にへばりついては、並走するひかりを食い入るように見る新幹線好きの子どもだった。

 このお盆。混み合う新幹線の車内に亮の姿があった。「楽しかった?」。乗客の子どもたちに笑顔で話し掛ける。高校卒業後、新幹線の車掌となっていた。

 一号車から十六号車まで、数えきれぬほど往復しながら、目にした喜怒哀楽。パソコンのキーボードを必死にたたくビジネスマン、小学一年生ぐらいの男の子が定期券を手にしていたのには驚いた。春にはリクルートスーツの若者が増えてくる。デッキで独り涙を流していた女性もいた。客席でぐったりとする年配の男性を見つけ、緊急停車して病院に運んだことも。

 五十年で延べ五十六億人が新幹線に乗った。まさにこの国の大動脈。そんな新幹線に携わる誇りを感じつつ、亮はあらためて思う。

 「一日として、同じ日はない。それだけ、たくさんの人たちの人生を運んでいるんだ」 
(文中敬称略、この連載は中沢誠が担当します)


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