名橋に再び光 霞橋、浅山橋  (東京新聞2014年6月20日 神奈川)

【神奈川】
名橋に再び光 霞橋、浅山橋
東京新聞2014年6月20日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20140620/CK2014062002000120.html

 一八九六(明治二十九)年に東京・隅田川に建設され、横浜市中区新山下に昨年移築された霞(かすみ)橋が、橋の構造工学の業績をたたえる土木学会の田中賞(作品部門)を受賞した。同市西区に昭和初期に建設された浅山橋では、当時の灯具が復元された。二つの橋が歩んできた長い歴史が、人々の注目を集めている。 (橋本誠)

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現在の霞橋=横浜市中区で(いずれも同市提供)

◆霞橋 土木学会「田中賞」 受賞した橋では史上最小

 霞橋は英国の企業が製作。国内初の複線式のプラットトラス構造で、当時は最新のデザインだった。
 一九二九年に隅田川から移設され、川崎市幸区と横浜市鶴見区に架かる江ケ崎跨線橋(こせんきょう)に再利用された後、横浜市中区新山下で橋の架け替えに使われた。昨年十一月、市の歴史的建造物に認定されている。
 田中賞は、関東大震災後の東京や横浜の復興を担う帝都復興院の田中豊・初代橋梁(きょうりょう)課長に由来する。六六年の創設以来、横浜ベイブリッジのような大きな橋の受賞が多く、霞橋は史上最小。百十八年も前に建設された橋の受賞もないという。

 関係者を代表して賞状を受け取った市道路局橋梁課の菊地健次橋梁課長は「くさびなどの過去の部材や、当時の梁の構造をそのまま再利用したことが評価されたのでは」と話している。


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◆浅山橋 昭和初期の灯具復元 きょう点灯

 灯具が復元され、二十日から本格的に点灯される浅山橋は一九二八(昭和三)年に建設。二三年の関東大震災後に造られた「震災復興橋梁(きょうりょう)」の一つ。太陽光発電の明かりで昭和初期の面影を醸し出す。

 横浜駅東口から約三百メートルの石崎川に架かり、長さ二四・五メートル、幅二十二メートル。橋のたもとに立つ「親柱」という御影石製の柱の上に鉄製の灯具があったが、いつしか失われた。市道路局の担当者は「戦時中の金属不足で供出させられたと言われている」と話す。

 老朽化した橋の補修工事が昨年度から始まったのを機に、灯具を復元。「横浜復興誌」に残された親柱の図面を手掛かりに、ステンレスで作った骨組みに銅板を張り、当時の外観を再現した。日中は上部の太陽光パネルで発電し、夜間に内部の発光ダイオード(LED)が自動点灯する。

 震災復興橋梁は浅山橋を含め、横浜市に四十一カ所現存。美観が優れたものが多く、とくに親柱は設計者によって橋ごとにデザインが異なり、昭和初期の趣を残している。市は今後、他の橋の灯具の復元も検討する。

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