【吉田類 大衆酒場100選】 芳醇な樽酒を飲むまでの、長く遠い道のりよ 岩手屋(湯島)

【吉田類 大衆酒場100選】
芳醇な樽酒を飲むまでの、長く遠い道のりよ

日刊ゲンダイ2013年12月5日 掲載

http://gendai.net/articles/view/syoku/146450


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(C)日刊ゲンダイ

■岩手屋(湯島)

「あの時はもう二度と、こいつを出せないんじゃないかって……、そう思いましてね」
 湯島は天神下交差点を上野方面へ歩き、ふたつ目の路地を右へ曲がったところにある店のカウンターの奥。店主の内村嘉男さんが「酔仙 本醸造」と書かれた4斗樽のカランを回し、酒を徳利へとつぎながら、しみじみとつぶやいた。

 あの時とは、震災のことである。東北の沿岸部には、銘酒の酒蔵がいくつもあり、全国の飲んべえを喜ばせていたのだけれども、大地震と津波によって壊滅的な損害を被った。岩手の銘酒、酔仙の酒蔵も陸前高田にあったため、もうどうすることもできなかったという。

 樽酒750円の徳利を傾け、杯に口をつけると、芳醇(ほうじゅん)な味と香りがして、ゆっくりと心地良い酔いが五臓六腑(ろっぷ)に広がっていく。実に2年8カ月ぶり。50年以上、樽酒にこだわってきた店に、ようやく“顔”が戻ってきたのである。注文ごとに供される小皿のアテ(無料)がまた、うれしい。

「本当ならね、昨年には大丈夫だろうって思っていたんです」

 と内村さんは続ける。震災から半年後、岩手県一関にある岩手銘醸の施設を借りて、酒造りを再開。その1年後には大船渡へと場所を移し、自社酒蔵を新設した。これでまた、あの酒を出せる、飲んでもらえると思ったところ、今度は猛暑が立ちはだかった。

「この樽酒は酵母が生きていますから、あれほど暑いと駄目になっちゃうんです。樽の上に氷をのせるといった手があるんですが、そんな応急措置じゃあ間に合わなかった」

 そんなこんなの障害やトラブルを乗り越え、店に樽酒を置けたのが、気候の落ち着いた11月の初め。徳利を転がし、燗をつけてもらう。

 ほほぉ。スズ製の酒燗機で温められ、ぬる燗になるとさらに香りが開くといおうか、キリリとした味わいが穏やかになり、酒の表情が変わった。

「それこそ樽酒の醍醐味(だいごみ)。たった数時間で、ガラリと味が変わることもあるんですよ」

 と内村さんは笑う。目が輝いていて、こちらもつい、ほほ笑んでしまう。何だか粋なつまみが欲しくなってきた。メニューにはジュンサイ490円、莫久来(ばくらい)680円、まつも470円と、珍味が揃っていて、どれにしようかと目移りしてしまう。

 まあ、いいだろう。ゆっくり悩ませてもらおうじゃないか。ようやくのご帰還だ。カウンター隣でひとり酒の紳士と目が合い、店主を見て、杯を持ち上げた。乾杯!
(取材・カメラ 吉田慎治)

■つまみも郷土の味

吉田類…「こちらは伏見の酒が主流だった時代から酔仙、つまみも岩手を中心とした郷土の味を揃えているんですよ。ここまで一本筋の通ったといいますか、粋な酒場はなかなか出合えるもんじゃありません。燗をつけても、ちろりを手で包んで、ちょうどいい頃合いを見計らってくれる。主人の樽酒へのこだわりには頭が下がります」

▼よしだ・るい 高知県出身。画家、イラストレーターの傍ら、酒場詩人として全国の酒場をめぐる。著書に「酒場歳時記」など。BS―TBS「吉田類の酒場放浪記」出演中。

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