古都の名所おいでやす 京都の新島襄と八重の墓地  (東京新聞2013年9月6日 群馬)

【群馬】
古都の名所おいでやす 京都の新島襄と八重の墓地
東京新聞2013年9月6日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20130906/CK2013090602000163.html


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新島襄の墓(右)と八重の墓が並ぶ=京都市左京区で


 NHK大河ドラマ「八重の桜」で再び注目が集まっている同志社大の創始者、新島襄(一八四三~九〇年)。「上毛かるた」で「平和の使徒(つかい)」として知ってはいても、京都市左京区にある墓を知る県民は意外と少ないのでは。妻、八重と眠る襄の墓地を訪ねた。 (美細津仁志)


 市バスの「東天王町」で下車。「哲学の道」南端の若王子(にゃくおうじ)神社裏手の山道を二十分ほど登る。途中に案内板が多く、遊歩道も整備され、道に迷うことはない。ただ、雨などで路面が削られ、坂の勾配もきつく、訪問時にはハイキングシューズか運動靴がお薦めだ。


 息も上がり切ったころ、ひっそりとした「同志社墓地」にたどり着いた。向かって正面に新島襄、すぐ左に小ぶりな八重の墓がある。襄の墓の碑銘は勝海舟の手によるもので、八重の墓は本紙の前身「国民新聞」を創刊したジャーナリスト徳富蘇峰(一八六三~一九五七年)が手掛けた。


 周囲に新島家や八重の実家である山本家の家族をはじめ、歴代の外国人宣教師、八重の兄山本覚馬、蘇峰の墓が並ぶ。古都散策で欠かせない観光スポットになりそうだ。


 墓地には、来春に大学受験を控えた人の姿もあった。大阪府吹田市の女子高校生(17)は「八重さんは新しい時代を切り開いた女性で、あこがれる。(襄に)来春の大学合格を祈願しました」。


 墓を管理する同志社大広報課によると、墓地は出入り自由で、訪問者を数えていないため、「ドラマの影響による増減は不明」という。


 一方で、襄と八重が暮らした「新島旧邸」(京都市上京区)への来場者は急増している。二〇一二年は一カ月当たり約千人だったが、ことし四、五月は初めて一万人を超えた。


 大河ドラマでは、八日に襄と八重の婚礼の様子が描かれる予定で、襄が注目される機会も増えそう。


 大阪市北区の県大阪事務所の入り口には「八重の桜」のポスターが掲示されている。「福島、京都だけではない」と言わんばかり。木村芳雄所長は「関西で新島襄は有名だが、群馬との縁を知る人はそう多くはない。ドラマを追い風に襄ゆかりの旧跡が多い安中市のPRを進め、誘客を図りたい」と話している。

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