「ミシマ号」 50年ぶり雄姿 幻の高性能オート 動力を電気に変え (東京新聞2013年4月17日)

【社会】
「ミシマ号」 50年ぶり雄姿 幻の高性能オート 動力を電気に変え
東京新聞2013年4月17日 夕刊

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013041702000222.html


画像

復刻したミシマ号を見て「おやじも喜んでいる」と語る諏訪部敏之さん=静岡県三島市で

 終戦後の一時期に高性能を誇りながら、メーカーの倒産で消えた「幻のオートバイ」があった。浜松生まれのライバルと並び「西のホンダ、東のミシマ」と称された「ミシマ号」が、生産地だった静岡県三島市などにある製造業八社の手で、五十年ぶりによみがえった。復刻号の心臓部はエンジンから電気に姿を変え、現代の技術者が昭和の開発者のチャレンジ精神を受け継いだ証しとなっている。 (山田晃史)
 ミシマ号の誕生は一九四八(昭和二十三)年ごろ。「ミシマ軽発工業」創業者の故・諏訪部伊作さんが友人から話を持ちかけられ、航空機エンジン製造の経験をもとに試作した。
 ミシマを継いだ三島市の建設機械メーカー「丸善工業」会長で、伊作さんの長男敏之さん(76)によると、伊作さんが生前語っていた伝説がある。「試作のバイクは多摩川のオートレースでいきなり三位に入った。これまでホンダが上位を独占していたが、量産化した翌年の一~三位はミシマ号だった」
 五〇年にエンジンから車体まですべて自社で製造するミシマを設立。戦後の復興期でオートバイ需要が高まり、最盛期は四つの工場を稼働、年間一万台を量産した。
 しかし全国で八十社がひしめいたメーカーの過当競争に敗れ、五四年に倒産。別会社が三年ほどミシマ号を生産したが、製造は通算で十年に満たなかった。
 ミシマ号は地元の製造業者の間で語り草だった。敏之さんの胸に復刻への思いはあったものの、図面もなかった。ある時、三島商工会議所の関係者が、人づてに岩手県二戸市のオートバイ愛好会でミシマ号を保存していると聞き、丸善工業が二〇〇八年に借り受けた。
 昨年七月、復刻プロジェクトをスタート。敏之さんが会頭を務める商議所のメーカーの技術力向上を目的に丸善工業など八社の技術者らは実物を見ながら、部品を加工。電気バイクに見えないようにエンジンの中身をくりぬいてバッテリーを隠し、モーターは工具入れに似せるなどの工夫を凝らした。
 復刻ミシマ号は、全長百九十八センチ、幅七十四センチ、モーター出力六百ワットで原付きバイクに相当。最高速度は五十キロ、一回八時間の充電で三十キロ走行できる。製品化は未定だが、商議所はロビーに展示するほか、市の製造業の象徴として活用を考えている。
 敏之さんは「挑戦とミシマ号が大好きだったおやじも復刻が成功して喜んでいると思う」と笑顔で話した。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック